【中学受験生と支える家族におすすめの本】村上雅郁『りぼんちゃん』を読んだ感想

10歳~12歳のあなたへ
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この本は、
四谷大塚の予習シリーズ
小学5年上の国語で
問題文の題材に
使用されています。

問題も難しかったですが、
何よりお話として、
とても気になるところで
文章が終わってしまい、
二の姫から「借りてほしい!」と
言われました。

〇中学受験生、とその家族

〇中学生

〇読書感想文の本を探している


〇小学生や中学生を育てている

今、現在進行形で
小学生や中学生を育てている
親御さんにはぜひ
読んでほしい本
です。

私も何度も涙したし、
反省や後悔もしました。

大人にこそ
読んでほしい本です。

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あらすじ

「りぼんちゃんはさ、
オオカミといっしょに
暮らしているんだよ」

朱理あかりのクラスに転校してきた
大きなりぼんの女の子、理緒りお

背も小さく、クラスで
お子ちゃまあつかいされてきた
朱理が理緒と友だちに
なれたことで、

朱理の世界は
あざやかなものへ変わった。


けれど、ある出来事から
理緒がかかえていた痛みを、
暗闇を、
朱理は知ってしまう。


この世にあふれている
〈オオカミ〉とたたかうには?

朱理が、
理緒が出した答えは―――?

村上雅郁、20代最後に贈る「祈り」の物語。

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著者

村上雅郁 むらかみ まさふみ

1991年生まれ。鎌倉市に育つ。
2011年より本格的に児童文学の創作を始める。

第2回フレーベル館ものがたり新人賞
大賞受賞作『あの子の秘密』
(「ハロー・マイ・フレンド」改題)にてデビュー。

2020年、同作で第49回児童文芸新人賞を受賞。
受賞後第1作『キャンドル』を2020年に刊行(フレーベル館)。

読んだ感想

これは正直、小学生だと
よほどの本好きでないと
難しいかな、
と感じました。

物語の流れと 朱理の頭の中での空想が読書に慣れていないと理解するのが難しい

自らが望まない場所で、
苦しみながら生き続けることと、

そこから逃げ出して死ぬこと。
そのふたつは、どちらがまだましなのかな。

村上雅郁『りぼんちゃん』より

これは、朱理の頭の中(空想)
での言葉なのですが、
この「空想中」と「現実」が一応
金平糖のようなマークで
区切られてはいるのですが、

最後の方は、より
その境目がわかりづらくなってくるので、
少し難しめの本であると思います。

誰かれ構わず暴言を吐く大人(クレーマー)を子どもはどんな風にみているのか

ーーーーーー理由はなんでもいいのよ、
ああいう人は。

おこりやすいところに、おこるの。

村上雅郁『りぼんちゃん』より

この場面は、
理緒が朱理に話している言葉です。

同じ12歳なのに、
どこか達観たっかんしている
(目先のことなどに迷わされず、
真理を見極めている)
かのような理緒。

その理由は読み進めるうちに
わかってきます。


私は働いていた頃、
クレーマー対応もしていました。
これは本当に心をやられます。


20代前半で若かったから
私は辛く感じましたが、

40代超えた上司は

ああいう人は
ただ話したいだけだからね~

自分でもよくわからない怒りを
だれかに
ぶつけたいだけなんだよね~

などと話していましたが、
20代前半の私には
そう話す上司の気持ちも
理解できませんでした。

今は同じ年代になり、
多少理解できるように
なりましたが、それでもやっぱり
理不尽なことで怒鳴られるのは
嫌です!!

この本に出てくる「オオカミ」は<わざわい>のたとえ

オオカミとは、つまり
<わざわい>なのです。

この世を生きるにあたって、
さけることのできない、
たくさんの苦しみ。

それはこの世にあふれていて、
いっしょうけんめいに生きている人々の
胸を引きさき、
心臓をえぐりだして、
食べてしまおうとする。


「どうしたら、オオカミを
やっつけられるの?
どうしたら、
この世界からわざわいはなくなるの?」

朱理は、もう一度そう問いかけました。

「オオカミを完全にやっつけることは
できないのよ。

わざわいをすべて、
世界から消しさることは
できない。

だけど、食い止めることはできるわ。

それには、どんな方法でもいいから、
たたかい続けることです」

村上雅郁『りぼんちゃん』P192より

この本は小説家志望の
朱理の頭の中で
童話「あかずきんちゃん」を
モチーフにしながら、
そこに色々な登場人物を増やしていきます。

童話「あかずきんちゃん」の
悪役・オオカミにかけて
この引用文章があります。

あとがきで著者の村上さんが
<オオカミ>について
書いています。

目には見えない、
姿かたちを持たない、
<わざわい>という名前のオオカミ。

オオカミは、
戦争、飢餓、暴力、貧困、
犯罪、差別、搾取など、
わかりやすい悪や不幸のなかにだけ
存在するわけでなく

家庭や愛情といった、
一見するとあたたかいはずの物陰にも、
ひっそりと息を殺し、
その身を隠している。

世界はオオカミと
オオカミがもたらす痛みであふれている、と。


私も父親からの心理的虐待(言葉の暴力)
があったのだと
この本を読んでいて理解し、
読むのが辛くなりました。


昭和生まれ・平成育ち・
令和で親になった年代の私たちは、

「昭和のお父さん」がしていたことは
心理的虐待(暴言)・身体的虐待(暴力)
だったのだと今気づきます。

そして、自分がその頃
父親・母親にされていた嫌だったことを
今自分がしてしまっていないか
振り返ってみてください。

中学受験問題の国語で必要とされるレベル主人公の心情変化に気づき、本文から解答に必要な要素を集めることができるか

胸の中、ちょっともやもやしてる。

私が「ひどくない?」って言ったあと、
お母さんがだまってしまったのは、きっと
気づいたからだ。

わたしのことを、ぜんぜん見てなかったって。

わたしのこと、なにも知らなかったって、
知ろうともしなかったって。

思い知ったんじゃないかな。
もしかして、
罪悪感みたいなの、ちょっとはあったのかも。

だから、うめあわせをするように、
ケーキの話をした。

いやってほどたくさん、缶詰のモモを
のせてくれるんだってさ。

「はあ・・・・・・」

ため息をつく。寝返りを打つ。
天井をにらんで、わたしはかなしい。

ばかにしてるよね。そんなもので
うめあわせになると思ってるのかな。

今さら、遅いよ。
わたしの胸には、なんだろ、
ぽっかりあなが空いている。


いつの間にか。
ううん、だんだんと
空いたのかもしれない。

ちょっとずつちょっとずつ、
雨粒がおなじところに落ちるうちに、
岩がけずれていくみたいに、
長い時間をかけて、空いたのかもしれない。

たくさんの小さな
「がっかり」でできた、深い深いあな。

さびしさみたいな、
むなしさみたいな、
あきらめみたいな。

そういう感じの寒々しいものが
渦をまいている。

だって、
おとなはわかってくれないんだもん。

話も聞いてくれない。
わたしが子どもだからって理由で。

ひどいよね。
子どもだから、なにもできないのに。

子どもだから、わたしたち、助けがほしいのに。

だから、もういいんだよ。
おとなのことは、もうどうでもいいの。
どうせ助けてくれない。

だったら、自分でなんとかするしかない。
自分たちでなんとかするしかない。
できる限りのことを、いっしょうけんめい
がんばって、大切なものを守るしかない。

無力なままで、
それでもたたかうしかない。

村上雅郁『りぼんちゃん』 P211より

ここは、四谷大塚予習シリーズ
5年上・国語 第6回・第7回
物語・小説(3)(4)の
読解テーマ(学習課題)の
文章で使用されています。

ここで勉強するテーマは
『心情変化』

小説・物語文を解くうえでは
重要なポイントです。


『りぼんちゃん』を読んでもらえば
わかるのですが、

引用文より少し前の文章での朱里の様子と、
引用文内の太字の部分
朱理の様子は全く違います。

そこで下記の問題が出ています。

誕生日のケーキに
朱理の好きなモモをたくさんのせる
という母親の提案について、
朱理は場面AとBとで、異なる様子を見せています。

傍線①・②に注意して、
A・Bそれぞれの朱理の気持ちや
様子を説明しなさい。

四谷大塚予習シリーズ国語 5年上より引用抜粋

同一場面内(ページ近く)にあれば
すぐに理解できますが、

場面をまたぐ(ページが離れている)場合には
変化の前後やそれぞれの場面背景が
関係してきます。

より複雑な理解ができるかが
若干10歳の子たちに求められています。

受験に挑む子どもたちは
まだあと1年以上あります。

これから受験までにこの考え方を
マスターできるようになればよいので
今出来なくても
危機感は感じなくて大丈夫です。


ですが、
ここまで読んでくださった
皆さんにお訊きしたいのは、
この朱理のお母さんに
なっていませんか?

ということです。

1人目が中学受験終了した今だからこそ、わが身を振り返る

朱理のお母さんは、パートで働き、
中学受験を終えた長女のことを
常に意識していて、

次女である朱理のことは
小学2年生の時の情報で
止まっていました。

朱理は現在
小学校6年生・・・・・・。

そのことを朱理と話すまで
気づかなかったのです



子どもはちゃんと見ているんですよね。

お母さんが毎日大変なこと、
頑張っていること、
お姉ちゃんが大変な時だということ、

全部わかっているから、
これしきの悩みは大丈夫と思って
自分の気持ちを
押し込めたりするんですよね。


そして親は
その子の気持ちに気づけない。

同じように育てているつもりでも
子どもはそれぞれ違う


私も2024年、一の姫(長女)が
初めての中学受験を終えました。

家族で挑む中学受験、その言葉に
間違いはなく本当に家族一丸となって
支えました。

ですがその間、ニの姫(次女)にも
一の姫と同じように
目をかけていられたかと
問われたら、できていませんでした。



私は二の姫が幼稚園に入る前までも
虐待をしてしまっていました。

イライラして仕方なくて
暴言を吐いたことも、
叩いたことも、
部屋に閉じ込めたこともあります。

そのたびに反省しましたが
ここが私も父に虐待を受けていた、と
いう負のループなのかもしれません。

だから『りぼんちゃん』を読んでいて
とても辛かったです。


間違いに気づけたときからまた新しく生き直せる


今私は子どもたちへの贖罪の時期を
過ごしています。

働きたいと何度も思っているけれども
二の姫にもう二度と
寂しい思いをさせないため、

二の姫から
「ママ、もういいかげん働いていいよ」
と言われるまで、
家に居続けようと思っています。
(それでもお金は稼ぎたいので
ブログなど頑張っています)


「親なのに」子どもに謝るとか
反省するとか、
無理って思うかもしれません。

でも、子どもはいつか必ず
気づきます。

お母さん、お父さんは
私(子ども)への対応を
間違えてた・・・・・・って。

やり直せるならやり直したいって
その時後悔しても
もう遅いんです。

ーーーーーーあとは、きみが一歩踏みだすだけだよ。
だいじょうぶ。
ちゃんとうまくいく。

村上雅郁『りぼんちゃん』P226より

子どもだって勇気を出して、
立ち向かっていることがあります。

私たち大人も、もしも
今 後悔していることがあるならば
素直になってみませんか?

いつでも頼れる大人でいたい

「(前略)
だから、死んじゃいたいなんて、
思っちゃだめだよ」

(中略)

「ちがうな。そうじゃない。
ごめん、思うのはべつにいい。
いや、よくはないけれど、
死んじゃいたいって
思っちゃうのは、
理緒ちゃんのせいじゃないものね。

理緒ちゃんがそれだけ
苦しいってことだから。

むしろ、うん。
ぼくらはみんなで、理緒ちゃんが
生きていたいって、そう思えるような
世界にしていくよ。

だから、理緒ちゃんも
ぼくらおとなを信じてほしい」

(中略)

「まず、理緒ちゃんは、自分の
『いやだ』って気持ちとか、
『つらい』って気持ちを、自分自身、
しっかりと認めてあげること。

それを無視したり、
おし殺したりしないで、
まわりのおとなや、先生、

それができなかったら、
うちの朱理とか、
ほかの友だちとか、だれでもいい。
ちゃんと話してほしい」

村上雅郁『りぼんちゃん』P252より

これは今悩むすべての人に
伝えたいですね。

でも話す人を間違えるとまた
傷つくこともありますよね。

いつでも優しく迎えてくれる人と
場所、そんなところがあるといいのですが・・・・・・。

私は自分のできる限りで
朱理のお父さんのようでありたいと
思っています。

運よくたまたま生きているだけだから

いつだか、心の森でおばあちゃんと話した。

わたしは
「人生を終わらせてしまいたいと
願うほどの苦しみ」を知らない。

それはとっても
幸運なことだったんだって、
今は思う。

傷ついても、
思いどおりにならなくて
泣いても、

だからと言って自分を、
他人を、
傷つけようという、
オオカミのささやきに
まどわされることはなかった。

でも、だれもがそうとは限らないんだ。

そして、それは強いとか
弱いとか、
いいとか悪いとかじゃない。

たまたまなんだと思う。

村上雅郁『りぼんちゃん』P290より

どんなに幸せそうだ、素敵だ、
とみんなから思われていた人でも
自ら人生を終わらせてしまう人がいます。

ほんの少し時間がずれていたら
人生終わらなかったのに、という人もいます。

「私は弱いからダメなんだ」ではないです。

たまたま生きられているからこそ
感謝して周りに意識を向けることが
大事ですね。

勉強しよう!!


「七巻でさ、ノゾミが言うセリフ。
鍋占いの魔女が出てくる話ね。
こういうのがあった」

ーーーーーー知識は
暗闇を照らす光なんだ。

『知らない』ことで
見えなかったものを、
見えるようにしてくれる。

だから、勉強することは
魔法なんだよ。

村上雅郁『りぼんちゃん』P299より

私は中学受験をしてよかったと
思っています。

未知の世界だったけれど
学ぶことがたくさんありました。

大人の私でさえそう思えたのですが、

自分の力で合格をつかんだ一の姫の
学校選びに間違いはなく、
頼れる先生方に見守られながら、
自分を最大限発揮できる場所で
ますます勉強を頑張っています。

二の姫は進学くらぶで1人頑張っていますが、
国語の問題を解いてはこのように
興味を持って色々と教えてくれます。

知識を増やすことは生きていくうえで
何も無駄にはなりません。

知らなかったことを知る。

中学受験は大変だけど、
得られる知識は多く、
生きていくうえで大切なことばかりです。

中学受験に限らず、
学ぶことを仕事として与えられている
義務教育のうちに

できるだけ多くの正しい情報にふれ、
多くの知識を取り入れてほしいと思います。

『りぼんちゃん』はこんな人におすすめ

〇中学受験生

〇中学生

〇受験生を支える家族

〇読書感想文の題材を探している

という方に読んでほしいおすすめの一冊です。

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読んでみようかなと思ったら

それではまた。
ここまで読んでいただき
ありがとうございました。

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