【中学受験】『なぜ中学受験するのか?』を読んだ感想

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中学受験

小3の2月、不安の中始まった中学受験生活も もう1年半。
自分も子どももだいぶ頑張ってますよね・・・。
あっという間に過ぎた小5の夏を終え、この秋には中高一貫校の文化祭や学校説明会が多くあります。そんな時期にちょっと立ち止まって見てほしい一冊です


「なぜ中学受験をする道を選んだのか?」


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12歳でやるのか 15歳でやるのかの違い

この章の結論を先に述べてしまえば、中高一貫校に通うことで得られる最大の利点は、高校受験に邪魔されず、豊かな思春期を謳歌できることである。この点に関しては、私立だろうと国立だろうと公立だろうと関係ない。もちろん偏差値一覧の中での位置も関係ない。

『なぜ中学受験するのか?』おおたとしまさ 第一章より

  私たち親子が中学受験を目指したのは、『気が合うお友達が欲しい』が一番の理由でした。
(ちなみに二つめは『もっと楽しい授業を受けたい』三つめは『かわいい制服がいい』です。)
娘は小学校に入ってからの約5年、近所のお友達と遊んだことは3回くらいしかありません。

そして反抗期と重なる15歳での受験は私自身が辛かったというのもあります。
受験に落ちたらどうしようという不安感と焦燥感を持たずに、6年間心のゆとりを持って過ごせるようにしてあげたいと思いました。

「多様性の豊かさ」などという場合の多様性とは、文化や思想や価値観の多様性であるはずだ。その点では、私立中学校のほうが広範囲な地域から生徒が集まるぶん、多様性があるともいえる。彼らはホームタウンを離れて、常にアウェーの状態で学校にいる。
 ー略ー
育ってきた環境がそれぞれ違うし、トランプやボール遊びのルールも地域によって違う。使う言葉だって違いがある。それぞれの地元の文化を持ち寄って、新しい文化を形成する。
かたや公立中学校の場合、近隣の小学校から、半径数キロ圏内に住んでいる生徒が集まっている。大半が小学校時代からの顔見知りだ。放課後に遊ぶ公園も、週末にすごすショッピングモールも、みんなのなわばりである。
この狭い地域に閉ざされた文化が大人になっても継続することを、マーケティング用語では「マイルドヤンキー」と呼ぶ。いくつになっても地元の数キロ圏内で生活が完結してしまい、世界の多様性からは切り離される。

『なぜ中学受験するのか?』おおたとしまさ 第二章より

 私自身は千葉の田舎で小学校は一学年一クラスのみ、中学校も一学年三クラスという過疎地域で育ったので、いわばこの「マイルドヤンキー」だらけです。
そこでいじめに遭ったので、私は早く実家を出たくて仕方ありませんでした。
なので中学受験はしたのですが、ここまで下調べも塾通いもしていなかったのでやはり不合格でした。
多様性などとは程遠い世界で、合わない友達との生活は本当につらかったです。

親の受験では断じてない

わが子がせっかくこんなに努力をしているのだから、なんとかいい結果を出させてあげたい。親なら誰もが抱くその気持ちは痛いほどにわかる。
しかし、子どもが本当に望んでいるのは、親の力でいい成績をとることではない。まず何より、親が自分を信じてくれること。そして結果がどうであれ、自分なりの努力を認めてくれること。さらに、もし自分が傷ついたり、悲しかったり、悔しかったりしたときは、その気持ちにそっと寄り添ってくれること。それだけだ。

「次こそいい成績をとらせてやろう」と親が奮起する必要はない。中学受験は親の親としての能力を競うものではない。これが理解できないのなら、子どもに中学受験させるのはやめておいたほうがいい。

『なぜ中学受験するのか?』おおたとしまさ 第三章より

 これ、難しいです。。。非常に難しいです。。。。
今、成績が落ちてきている娘を目の前にして焦っています。塾通いすることも視野に入れ始めました。ただ本人の希望を第一に考えてはいますので、どうなることか。

親の未熟さがあぶり出される中学受験

 もし第一志望の入試本番前日に、「明日の入試問題を極秘入手したから見せる」と言われたら、親としてどうするだろうか。事前に問題を知っていれば、合格は間違いない。
 悪魔の誘惑だ。
「そんなチャンスがあるのなら、見るに決まってるじゃないか!」と思うのなら、中学受験はやめたほうがいい。

『なぜ中学受験するのか?』おおたとしまさ 第四章より

 これもドキッとしました。
というのも、私(見る!)と思ってしまったからです。
でもこれはこの本を読むと、見てしまうことは本当にいけないことなんだと感じました。

見る!と思った方はぜひご一読ください。

 中学受験に限ったことではない。巷には子育てに関する情報があふれている。”ベスト”を選ぼうと思うと、そのすべてを吟味しなければいけない。血眼になってネットを隈なく検索することになる。すると、目の前の子どもが見えなくなる。これが最悪だ。
 子どもの可能性を探るために、あれこれ試してみることは悪いことではない。しかし必ず子どもを見てほしい。目が輝いているか、体が躍動しているか、心が安らいでいるか。第二章のコラムで述べた、学校を選ぶときのポイントと同じである。<中略>
正解がない時代の正解は、子どもの目を見て判断する。

『なぜ中学受験するのか?』おおたとしまさ 第四章より

 今までたくさん学校見学にいきましたが、これは気にして見ていました。


あまり感情がおもてに出ない子なのですが、帰ってきてベラベラと話しだしたり、何日か後に思いだしたかのように話しだしたりするので、そういう学校は気にいったんだろうなという目安になります。


親は所詮 無力である

 子育てにおいて待つとは、「もう焦らない」と覚悟を決めることだ。たとえ待っている間に入試本番がやって来てしまっても、「それがこの子のスタイルなんだ」と腹をくくることだ。それがありのままを受け入れることでもある。
<中略>
中学受験生の親にとって、待つことは、まるで荒行のようなもの。悟りの境地を目指すくらいの気持ちで取り組まないと難しい。でも子どもたちだって、日々自分と戦っているわけだから、親が先に音を上げるわけにはいかない。

『なぜ中学受験するのか?』おおたとしまさ 第四章より

入試本番当日、憧れの志望校の門をくぐり、最後のアイコンタクトをして、一人で試験会場へと向かうわが子の後ろ姿を想像してみてほしい。初めて中学受験塾に通ったときと比べれば、その背中はずいぶんと大きく感じられるはずだ。
それまでいろいろと手を出し口を出しやってきた。でももうここから先は、親が手出しのできない領域だ。あの子が一人でやるしかない。それができるほどにあの子は成長した。
このとき親は痛感する。結局のところ、親は無力である、と。

『なぜ中学受験するのか?』おおたとしまさ 第四章より

 この気持ち、私は初めての四谷大塚の公開組み分けテストの時に経験しました。

ちゃんと解けるか、書けるか、不安で仕方なかったのですが、試験会場入り口で娘を見送った時、その背中をみてなぜだか涙が出てきてしまったんです。

ここから先はもう何もしてやれないんだなと無力感におそわれました。
でも信じて待つしかない。
受験当日もきっと同じ思いなんだろうなと思います。

こひめのひとりごと

 おおたさんの本は他にも4冊ほど読んでいます。
親として迎える中学受験が初めての私にもわかりやすいです。
でも「こうした方が良い!」という正解のような答えは必ずといっていいほど、教えてもらえません(笑)。
子もそれぞれ、親もそれぞれ、価値観もそれぞれなので正解も一つにはならないということなのだと思います。
 けれども応援している子どもの成績が落ちてくれば
「塾を変えた方が良いのでは?」
「個別指導も入れた方が良いのでは?」
「どうしてうちの子こんなにやる気ないのかな?」などモヤモヤ感があふれだしてきます。

この本の最初は、なぜ高校受験をするようになってしまったのかの日本の歴史も入っているのでちょっと難しいです。

でも親が当初の目的を見失いそうになるこの時期、塾などの課金ゲームに足を踏み入れないよう、親子が無理をせずに本当の意味での幸せな受験になるよう、是非読んでほしい一冊です。


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